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Clare Fischer / クレア・フィッシャー

1928年10月22日ミシガン州デュランド生まれのピアニスト、アレンジャー。
’62年のリーダー作「First Time Out」はジャズ界で高評価を得ました。
スタンダートばかりではなくラテンやボサノバ等も演奏し多くのアルバムをリリース、ハービー・ハンコックに大きな影響を与えたました。

Herbie Hancock Remembers Clare Fischer - JazzTimes
Herbie Hancock Remembers Clare Fischer - JazzTimes

jazztimes.com

70年代頃からオーケストラ・アレンジも手掛け、チャカ・カーン、ポール・マッカートニー、セリーヌ・ディオン、そしてプリンス等多くのアーティストと仕事をしています。
'12年1月26日惜しまれつつこの世を去りましたが、クレアの意思は共にアレンジャーとして活躍している息子のブレント・フィッシャーに受け継がれています。

プリンスが全幅の信頼を寄せたアレンジャー:クレア・フィッシャー

プリンスとクレア・フィッシャーという二人の天才を引き合わせたのは、当時プリンスの恋人であり、ザ・ファミリーのメンバーでもあったスザンナ・メルヴォワンでした。
スザンナは、自身の父であり高名なジャズ・アレンジャーでもあったマイク・メルヴォワンが、過去にクレアと仕事をしていた縁から、ストリングス・アレンジの依頼先として彼をプリンスに推薦しました。この歴史的なコラボレーションは、1985年にリリースされたプロジェクト「ザ・ファミリー」のアルバム制作から始まります。

The Family
参考The Family / The Family ('85)

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自身の楽曲のあらゆる要素を完璧にコントロールすることで知られるプリンスですが、オーケストラ・アレンジに関してはクレア・フィッシャーに一任し、完成したスコアに一切の口出しをしませんでした。
それほど信頼していたにも関わらず、プリンスとクレア・フィッシャーは生涯を通じて一度も直接対面したことがありませんでした。

カセットテープで送られてくるプリンスの音源を採譜し、実務的なやり取りや音楽的な橋渡しを行っていたのは、同じく音楽家でありクレアの息子であるブレント・フィッシャーでした。ブレントは当時の状況について次のように語っています。

"During this whole time I got to meet Prince myself, but my father actually never met Prince."
「この全期間を通じて、私自身はプリンスに会う機会がありましたが、父は実際にプリンスと会ったことは一度もありませんでした。」— ブレント・フィッシャー

生前クレア・フィッシャーはHousequake.comのインタビューで二人の関係性について以下のように語っています。

"I've never met Prince, and I was informed by people who had been with him that when asked about meeting me, he said, 'I don't want to meet him. It's going just fine as it is.'"
「私はプリンスに会ったことがありません。彼と一緒にいた人から聞いた話では、私に会うことについて尋ねられた際、プリンスは『彼には会いたくない。今のままで上手くいっているからね』と答えたそうです。」
— クレア・フィッシャー

顔を合わせずとも、送られてきた音源と完成したアレンジメントだけで完璧な意思疎通ができていた二人。プリンスにとって「会わないこと」こそが、クレア・フィッシャーが持つ圧倒的な才能に対する最大の賛辞であり、絶対的な信頼の証だったと言えます。

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