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リーヴァイ・シーサー・Jrが語るプリンスとの日々――出会いから「Sexy MF」誕生秘話まで

『Guitar World』誌に、かつてプリンスのバンドやニュー・パワー・ジェネレーション(NPG)でベーシスト/ギタリストとして活躍したリーヴァイ・シーサー・Jr(Levi Seacer Jr.)の最新インタビューが掲載されています。

身近で支え続けたリーヴァイだからこその貴重な証言が満載でしたので、元記事の要点を拾いつつ、当時のタイムラインや関連エピソードなどの補足を加えてまとめてみました。

リーヴァイ・シーサー・Jrが語る、曲を早く覚えること、罰金、そしてボスの素顔の面白さ

https://www.guitarworld.com/artists/guitarists/levi-seacer-jr-prince-new-power-generation
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www.guitarworld.com

リーヴァイ・シーサー・Jrの歩みとプリンスとの出会い

リーヴァイは1961年4月30日、カリフォルニア州リッチモンド生まれ。幼少期から教会でギターやベースを演奏して腕を磨き、10代の頃にはベイ・エリアでシーラ・Eたちとセッションを重ねていました。

その後、カーティス・オールソン(Curtis Ohlson)のバンドへの参加を経て、1985年には後にNPGの盟友となるロージー・ゲインズのデビュー・アルバム『Caring』にも参加しています。

転機となったのは翌1986年。シーラ・Eに誘われて彼女のツアー・ミュージシャンを務めることになり、ここでプリンスとの運命的な出会いを果たします。1987年のアルバム『Sheila E.』ではバックバンドである「Eバンド」のメンバーとしてクレジットされました。

1986年来日公演の舞台裏、そして突然の電話

当時シーラ・Eのバンドでプレイしていたリーヴァイたちの練習場には、プリンスが頻繁に顔を出していました。そして1986年、プリンスの日本公演(Parade Tour)でシーラ・Eのバンドがオープニングアクトを務めることになります。
その来日ツアーの最中、ザ・ファミリーやレボリューション等で活躍していたジェローム・ベントンから、こう耳打ちされたといいます。

“Hey man, Prince is checking you out. You might be in his next band. So be ready.”
「おい、プリンスがお前をチェックしてるぞ。次の彼のバンドに入るかもしれないから準備しておけ」

突然の話に「冗談だろう!」と半信半疑だったリーヴァイですが、ツアー終了後に事態は急展開を迎えます。ある土曜日、プリンスの秘書から一本の電話が入りました。
「おはようございます、リーヴァイ。プリンスに代わりますのでそのままお待ちください」
受話器の向こうから聞こえてきたのは、プリンス本人の声でした。

Prince: “Levi, you wanna be in my band?”
プリンス:「リーヴァイ、僕のバンドに入りたいか?」
Levi: “Of course!”
リーヴァイ:「もちろんです!」
Prince: “Rehearsals start on Monday.”
プリンス:「リハーサルは月曜から始める」

「あなたのバンドなら、カウベルでも叩きます」

急遽決まった加入劇でしたが、ひとつだけ予期せぬ条件がありました。元々ギタリストであり、シーラのバンドでもベースからギターへスイッチしていた時期があったリーヴァイに対し、プリンスが求めたのは「ベース」としての参加でした。

I know you’re a guitarist but I need you on bass. Are you willing to switch?”
「君がギタリストなのは知っているが、僕にはベースとして君が必要なんだ。転向してくれるか?」

そう尋ねるプリンスに対し、リーヴァイは即座にこう答えました。

“I’ll play cowbell if it’s in your band!’”
「あなたのバンドなら、カウベルでも叩きますよ!」

こうしてギタリストとしてのこだわりをあっさりと捨て、ベーシストとしてプリンスの新たな旅路へ合流することになったリーヴァイ。
しかし、月曜日に始まった最初のリハーサルで、彼はプリンスの徹底した完璧主義の洗礼を浴びることになります。

『Sign O' The Times』期のリハーサルと新バンドの始動

1週間で2枚組アルバムを叩き込む――『Sign O' The Times』のリハーサル

月曜日に始まった最初のリハーサル。そこでプリンスがバンドメンバー全員に言い放ったのは、彼の徹底した完璧主義を象徴する言葉でした。

“I'm gonna tell everybody right now, if you're not a genius, write it down, 'cos I don't like to repeat myself. I'm gonna count these songs off fast and I don't want to keep going over the same thing. Learn the first three songs from Sign O' The Times and I'll see you guys tomorrow.”
「今みんなに言っておくが、もし天才じゃないならメモを取れ。僕は同じことを繰り返すのが嫌いだからね。曲のカウントを早く出すし、同じことを何度もやり直したくはない。『Sign O' The Times』の最初の3曲を覚えてきてくれ。明日また会おう」

翌朝11時、スタジオに現れたプリンスは「おはよう。みんな準備はいいか?よし、Sign O' The Times、1-2-3-4!」と即座に曲を始めました。演奏はレコードと寸分違わぬクオリティが求められ、もし再現できなければ容赦なく指摘が飛ぶ緊張感。しかし、プリンスはこう付け加えました。

“I don't want to have to do that. When I ask for something, I want you guys to execute it. If there's a section you have a problem with, I'll help. But I want you to know every part backwards and forwards.”
「僕は(厳しく注意するような)こういうことはしたくないんだ。何かを求めたら、君たちにはそれを確実に実行してほしい。もし問題があるセクションがあれば僕が助ける。でも、すべてのパートを完璧に覚えておいてほしいんだ」

メンバーは毎日3曲ずつ宿題をこなし、週末を迎える頃には、なんとあの2枚組の大作アルバム全曲をバンドとして完全に仕上げていました。

完璧な下地があるからこそ「自由」になれる

なぜそこまで厳格に、原曲通りの演奏を短期間で叩き込ませたのか。その真意について、リハーサル開始から2週間後、プリンス自身からメンバーへ明かされました。

“I need to have the freedom to change things within a song, and if you don't know the songs, how can I do that?”
「僕には曲の中でいろいろな要素を変更する自由が必要なんだ。もし君たちが曲を完全に知らなければ、どうやってそれができる?」

プリンスのコンサートに1週間通えば、毎晩異なるアレンジが聴ける――その変幻自在なステージを可能にしていたのは、バンド全員が曲の骨格を完璧に把握していたからこそでした。

こうして猛特訓を経たリーヴァイを含む新体制のバンドは、1987年3月21日、地元ミネアポリスのファースト・アヴェニューでのお披露目ライブへと向かうことになります。(この日のライブで演奏された「Strange Relationship」は、2001年にプリンスの公式サイト「NPG Music Club」の『Ahdio Show #04』に収録、当時のグルーヴを聴くことができます)

罰金制度とプリンスの素顔(バスケットボール)

都市伝説ではなかった「ミスへの罰金」と“死の5本指”

プリンスのバンドにまつわる有名な噂のひとつに、「演奏をミスすると罰金を取られる」というものがあります。単なる都市伝説のようにも思えるこのエピソードですが、リーヴァイは「事実だ」とはっきりと認めています。

“If you missed a part, Prince would turn round and keep dancing, but hold up five fingers. That was $50.”
「もし演奏をミスしたら、プリンスは振り返って踊り続けながらも、指を5本立てました。それが50ドルの罰金でした」

激しいライブパフォーマンスの最中であっても、プリンスの耳はバンド全体の音を一音たりとも逃しませんでした。踊りながら背中で出されるそのハンドサインを、メンバーたちは戦々恐々としながら見つめていたといいます。

「彼がそれをやるたびに50ドルです。だから私たちは『死の5本指(five fingers of death)』を食らわないように祈っていましたよ! でも、それによってバンドの規律が保たれていたんです」

ステージ上でのミスに対して指を立てて即座に罰金を科す――このスタイルに、思わずジェームス・ブラウン(JB)の姿を思い浮かべます。
徹底した軍隊的な規律で知られたJBもまた、ライブ中に指を立てるハンドシグナルでメンバーのギャラから「5ドル」「10ドル」と容赦なく天引きしていたことで有名です。
プリンスがJBから受け継いだのは、鋭いストップ&ゴーや圧倒的なファンクネスだけではなく、恐怖と緊張感によって極限のタイトさを維持する「バンド統率の冷徹な流儀」そのものでした。JB時代の5ドルや10ドルから「50ドル」へとインフレしているあたりも含めて、ファンクの歴史が息づく強烈なエピソードです。

ヒールを履いた名ポイントガード――ツアー中の素顔とバスケの腕前

ステージ上では絶対的な規律を求めたプリンスですが、ツアーに出ればメンバーたちと常に行動を共にし、オフの時間を楽しむ仲間の一面も見せていました。その中でリーヴァイが目撃したのが、プリンスの並外れたバスケットボールの腕前でした。

「ステフィン・カリーを知っていますか? 私から見れば、プリンスはあんな風にプレイしていました。背の高い大男たちが彼と対戦しても、彼は彼らを馬鹿みたいに翻弄していましたよ。デイヴ・シャペルのコントを知っているでしょう? みんな『まさか』って言うけれど、私は『本当だよ。彼は本当にあのヒールのままバスケをしたんだ!』と答えています。彼は信じられないほど上手かった。卓球やアメフトも得意でしたね」

コメディアンのデイヴ・シャペルによる有名なコント(プリンスがフリルシャツとヒール姿で相手チームを圧倒するネタ)は、決して誇張ではなく真実だったとリーヴァイは証言します。

プリンスのバスケの才能については、彼の母校であるセントラル高校のコーチ、アル・ヌネス(Al Nuness)らも「ボールハンドリングが非常に巧みで、広い視野とクイックネスがあり、ペネトレイトして味方にパスを捌くポイントガードとしての優れたセンスを持っていた」と高く評価していました。

思えば、1988年の〈Lovesexy Tour〉ではステージ上にバスケットゴールを設置していましたし、2001年の「The Daisy Chain」のミュージックビデオでは、ペイズリー・パーク内のプライベートコートで見事なドリブルやシュートを披露するプリンスの姿が収められていました。

NPGの誕生、ギターへの回帰とバンドサウンドの進化

念願のギター復帰と、粋な言葉の引用

1987年から約2年間のツアーをベーシストとして務め上げたリーヴァイに、再び転機が訪れます。新たなバンド「ニュー・パワー・ジェネレーション(NPG)」の構想が進む中、プリンスは地元ミネアポリスの盟友であるソニー・トンプソン(Sonny T.)をベースに迎えることを決めました。

Prince: “I'm bringing Sonny Thompson into the band on bass, so if you want to play guitar now, you can.”
プリンス:「ベースにソニー・トンプソンを入れるから、君がギターを弾きたいなら弾いていいよ」

このプリンスの申し出に、リーヴァイは本当に喜んだそうです。

“I was so happy. I love bass, but as Prince said, 'Not like I love my guitar.'”
「とても嬉しかったですね。ベースも大好きですが、プリンスが言ったように『ギターを愛するほどではない』ですから」

ここでリーヴァイが口にした「Not like I love my guitar」というフレーズは、2007年のアルバム『Planet Earth』に収録された「Guitar」の歌詞(“I love you baby, but not like I love my guitar”)からの引用です。インタビューの中でサラリとプリンスの歌詞を織り交ぜてくるところに、長年プリンスの傍らにいた彼らしい粋な敬意が感じられます。

ラテンとフュージョンがもたらしたNPGのグルーヴ革新

ギタリストに復帰したリーヴァイ、そしてソニー・Tの加入によって結成された初期NPGは、これまでのプリンスのバンドとは一線を画す音楽性を帯びるようになります。

“In that band, we got into a little more Sly Stone type stuff, a little more Latin stuff because of Sheila, and a little more fusion, because we all had a fusion background. He'd studied that about all of us, then put it into his sound.”
「あのバンドでは、スライ・ストーンのようなアプローチや、シーラがいた影響による少しラテン寄りのアプローチ、そして私たち全員がフュージョンのバックグラウンドを持っていたので、よりフュージョン的な要素を取り入れるようになりました。プリンスは私たち全員の背景を研究し、それを自身のサウンドへと昇華させたのです」

リーヴァイの言葉通り、シーラ・Eが持ち込んだパーカッシブなタイム感やシンコペーションは、彼女が去った後も色濃く残っていました。「Willing and Able」でドラムの背後を転がるボンゴやシェイカーのうねり、「The Continental」の目まぐるしい展開を支えるポリリズム、そして「Daddy Pop」の隙間を埋めるハンドクラップやカッティングなど、随所にラテン・ファンクの躍動感が息づいています。

さらに、リーヴァイをはじめ、トミー・バーバレラ(Key)、ソニー・T(B)、マイケル・B(Dr)が共有していたジャズ/フュージョンの素養も見事に融合。「Love 2 the 9's」中盤でスウィングするピアノとウォーキング・ベースの複雑な絡み合いや、「Strollin'」の洗練されたコード・ボイシングなど、単なるファンクにとどまらないNPGならではの緻密なアンサンブルを確立していきました。

プリンスはメンバーそれぞれのルーツを見極め、バンドの持つ卓越した音楽性を自身の新たなサウンドへと見事に昇華させたのです。

車の塗料で塗られたブルーのエピフォンと、二人のギターの駆け引き

当時リーヴァイがステージで使用していたメインギターは、ギブソンES-335スタイルのエピフォンでした。そこにもプリンスならではの強烈な美学が反映されていました。

「プリンスがやっていたことのひとつに、年ごとにテーマカラーを決めるというものがありました。ある年はすべてが『ブルーとフューシャ(鮮やかな赤紫色)』で、彼は私のギター全体を車の塗料を使って青く塗り替えてしまったんです。今でもみんなから『あんな色、どこで手に入れたんだ?』と聞かれますが、まあ、一般には手に入らないでしょうね!」

ちなみに、この「青いギターを弾くリーヴァイ」の姿は、アルバム『Diamonds and Pearls』収録の「Strollin'」の歌詞にも登場しています。
“See the man with the blue guitar / Maybe one day he'll be a star”
(青いギターを持ったあの男を見てごらん / いつかスターになるかもしれないぜ)

そのギターを手に、間近でプリンスのプレイを見つめ続けたリーヴァイ。誰よりも近くにいた彼から見ても、ギタリストとしてのプリンスの実力は驚異的だったと語ります。

「彼はどんなスタイルでも弾けました。スライ&ザ・ファミリー・ストーンのファンクからレッド・ツェッペリンのようなハードロックまで、同じ30分のステージの中で軽々と行き来できた。やりたければカントリーだって弾けましたよ。彼は後年のインタビューでカルロス・サンタナのプレイが好きだと語っていましたが、私には彼のアプローチの中にそれが聴こえます。そしてもちろん、ジミ・ヘンドリックスもね。
私は彼ほど練習する人間を見たことがありません。8時間のリハーサルを終えてバンドが引き揚げた後も、彼は一人スタジオに残り、ステージでの動きや歌の練習をずっと続けていたんです」

カリスマだったプリンスに対し、リーヴァイはギタリストとしてどのように向き合っていたのでしょうか。プリンスがリーヴァイに贈った最大の賛辞は、互いの音のスペースを尊重する姿勢への信頼だったと話ます。

Prince: “I like you, because you don't never step on my toes.”
プリンス:「僕は君が好きだよ。君は絶対に僕のつま先を踏まない(邪魔をしない)からね」

“I always tried to be the opposite of whatever he was playing. We had this section of the show where we'd be jamming for five minutes – just me, him, and the drums. If he played a part I'd counter it. If he went low I'd go high. If he did a fast lick, I'd play something slow. So we stayed out of each other's way.”
「私は常に、彼が弾いているものの正反対をやろうと心がけていました。ライブ中、私と彼、そしてドラム(マイケル・B)だけの3人で5分間ジャムをするセクションがあったんです。彼があるパートを弾けば、私はそれに対抗するフレーズを弾く。彼が低音にいけば私は高音へ、彼が速いフレーズを弾けば私はゆったりとしたフレーズを弾く。そうやってお互いのスペースを邪魔しないようにしていたのです」

プリンスの奔放なプレイを際立たせつつ、アンサンブルを絶妙なバランスで支える――リーヴァイの確かなミュージシャンシップがあったからこそ、あの時期のステージは緊張感と自由さに満ちていたことがよく分かります。

「Sexy MF」誕生の瞬間と、チキン・グリース

冗談から生まれたキラーフレーズとスタジオでのセッション

1992年のアルバム『Love Symbol』に収録され、バンドとしての強烈なファンクネスを世界に知らしめた「Sexy MF」。リーヴァイはこの曲の共作者としても名を連ねていますが、あのあまりにも有名なフレーズは、ツアー中の何気ない口ずさみから生まれたものでした。

“I was a jokester; every night after the show I'd sing this little phrase 'cos I was so happy: 'We're some sexy motherfuckers!' Prince thought that was funny. When we got off tour we went in the studio and he said, 'I want y'all to give me a funk groove and put some chicken grease on it.' The chicken grease is when you hit that raised 9th chord.”
「私は冗談が好きでね。ツアー中、毎晩のようにライブが終わると嬉しくてたまらず、『We're some sexy motherfuckers!(俺たちって最高にセクシーな奴らだな!)』と口ずさんでいたんです。プリンスはそれを面白がっていました。ツアーが終わってスタジオに入った時、彼が言ったんです。『みんな、ファンクのグルーヴをくれ。そこに“チキン・グリース”を効かせてくれ』と。“チキン・グリース”というのは、シャープ9thのコードを弾くこと(※ファンク特有のキレのあるカッティング)なんです」

プリンスのリクエストに応じ、マイケル・ブランド(マイケル・B)が重くタイトなビートを刻み、極上のグルーヴがスタジオを満たしていきます。そこへプリンスがブレイクのアイデアを投入しました。

“So [drummer] Michael Bland put that thunderous beat under there and we're grooving, then Prince showed us that bam-bam-bam break. He pointed to me and said, 'Remember that thing you sing on tour? You sing it right here.' So it went bam-bam-bam and I sang: 'You sexy motherfucker!'”
「マイケル・ブランドがあの雷のようなビートを叩き出し、私たちがグルーヴしていると、プリンスが『バン・バン・バン』というブレイクのキメを指示してきました。そして私を指差して言ったんです。『ツアー中に歌っていたあのフレーズを覚えているか? ここでそれを歌ってくれ』。それで『バン・バン・バン』のブレイクの後に、私が『You sexy motherfucker!』と歌ったんです」

ペイズリー・パークでのレコーディングと制作秘話

この「Sexy MF」の基本トラックが録音されたのは、1991年10月10日、ミネソタ州チャンハッセンのペイズリー・パーク・スタジオでした。

当時、ジョージ・クリントンの「Get Satisfied」を聴いたプリンスは、両曲のエンジニアを務めていたデイヴ・フリードランダーに対し、「Sexy MF」にも同様のサウンドのアプローチでホーン・アレンジを施すよう指示したというエピソードも残されています。

また制作当初、「Sexy MF」はアルバム『Love Symbol』のオープニング・トラックとして配置されていました。しかし最終的には、その数ヶ月前に録音されていた「My Name Is Prince」にその座を譲ることになります。もしこの曲がアルバムの1曲目だったなら、またアルバム全体の印象も少し違ったものになっていたかもしれません。

「Sexy MF」のミュージック・ビデオでは、先ほどのエピソードに登場した「車の塗料で鮮やかな青にペイントされたエピフォン」を抱えてプレイするリーヴァイの姿をたっぷりと見ることができます。彼のタイトなカッティングと、プリンスとの息の合ったコンビネーションをぜひ確認してください。

誰よりも努力する天才、そして誰よりもユーモラスだったボス

インタビューの最後、リーヴァイは人間としてのプリンスの素顔について、温かな敬意を込めてこう振り返っています。

「まず第一に、彼は私が人生で出会った中で一番面白い男でした。ある時彼がこう言ったんです。『リーヴァイ、君にはプリンスでいることがどれだけ大変かわからないだろう。僕には下さなければならない決断が多すぎる。時々、みんなが僕に向かってくるから脳が疲れ果てて、気絶しそうになるよ』と。

その後ペイズリー・パークで、スタッフから矢継ぎ早に質問攻めに遭った彼が、本当に床にバタッと倒れて気絶したフリをしたんです。みんな大慌てで救急車を呼ぼうとパニックになりましたが、彼は何事もなかったようにムクリと起き上がりました。さっき『気絶しそうだ』と言ったばかりなのに、本当にやってのけたのが本当におかしくてね。

プリンスは最もスマートな人でした。アイデアに困ることはなく、常に答えを持ち、みんなの10歩先を行っていました」

天性のひらめきを持ちながらも、8時間のリハーサルの後に一人スタジオに残り、歌やステージアクションを黙々と磨き続けていたプリンス。リーヴァイが語る通り、彼の真の凄みは「天賦の才」そのもの以上に、「その天才に見合うだけの凄まじい努力(労働倫理)」を注ぎ込み続けた点にあったのでしょう。

その後の訴訟と、今だからこそ語れる敬意

もちろん、二人の関係のすべてが順風満帆だったわけではありません。

後にリーヴァイはトニー・Mとともに、「Sexy M.F.」や「My Name Is Prince」などの共作ロイヤリティの支払いをめぐってプリンス側を相手取り訴訟を起こすことになります。当初は約80万ドルを求めて争われましたが、最終的には約4万ドルで和解。ビジネス面でのシビアな現実や確執があったのも、また紛れもない事実です。

https://www.guitarworld.com/artists/guitarists/a-guide-to-every-prince-guitarist
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Coming full circle – Minnesota Good Age
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そうした苦い経験やすれ違いがあったからこそ、長い年月を経た今、リーヴァイがプリンスに対してこれほど率直にユーモアと敬意を込めて語っている姿には、深いものがあります。

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