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ブラウンマークがプリンスとの思い出を語る

〈The Revolution〉のベーシストとして活躍したブラウンマーク(Bronwmark)がforbesのインタビューでプリンスの思い出を語りました。

Prince & The Revolution Bassist BrownMark Gets Deep: On Prince’s Ego, Genius And “Million Personalities”
Prince & The Revolution Bassist BrownMark Gets Deep: On Prince’s Ego, Genius And “Million Personalities”

www.forbes.com

長文のインタビューなので要点だけまとめておきます。

ブラウンマークのキャリアについて

前半はブラウンマークのキャリアについて掲載されています。

プリンスとの出会いからバント・メンバーとして加入するまで

ブラウンマーク(本名:マーク・ブラウン)が初めてプリンスと出会ったのは高校生の頃で、当時働いていたタウン・クリエというレストランにプリンスが食事をしにきたそうで、マークはカウンター越しに地元のスターの姿を見ようと覗き込んが一度も言葉を交わすことはなかったそうです。
(The first time Mark Brown saw Prince face to face, he cooked him a batch of pancakes. と書いてあったのでプリンスはマークが作ったパンケーキを食べたのかな?!)

高校を卒業して1年後となる1981年、当時バンドの練習をしていた19歳のマークは思いがけない相手から電話を受けます。
電話の向こうの男性は"This is Prince."と自己紹介しましたがイタズラだと思ったマークは電話を切ってしまいます。(すぐに電話が鳴って本人と確信したそう。)
プリンスは自分のバンドのオーディション受けるよう依頼され、ボビーZがマークが働くセブンイレブンに迎えに来ると言われ事に驚きます。"何故僕がセブンイレブンで働いてる事をプリンス知ってるんだ?僕をスパイしていたのか?!”とw

マークは24時間の間にリリースされてた3枚のアルバムに収録されてた全26曲を全部覚えたものの、当日は約15分間だけジャムっただけで終了。セブンイレブンに戻る車の中でプリンスはバンドに入って欲しいと依頼し"数日じっくり考えてくれて”と考える余地を与えたそうです。

当時12人組のファンク・グループ「ファンタシー」で演奏してたマークはプリンスのバンドに参加する事を決意、ここから全く異なる経験をする事になります。

ザ・レヴォリューションからの脱退、転職、そしてレヴォリューション復活

ザ・レボリューションのメンバーとして映画やワールド・ツアーなど華々しい活躍(ここでは自身の著書のタイトルPurple Kingdomと表現)するも、プリンスが表現するセックス・アピールと自身の持つアイデンティティ、尊厳、モラルとの葛藤でバンドを脱退しモータウンに移籍します。

90年代に入る頃には音楽業界から離れ、電話やコピー機の修理技師としてスタートしキャリアを積んでいきました。
現在は2人の息子と孫が住むフロリダに移り住んだ後、ジョージア州に移住しました。

(記事では割愛されてますが2000年代から再び音楽活動を再開)2016年、ザ・レボリューションのメンバーと再会しツアーを行います。

 

ロング・インタビュー

後半はブラウンマークの自伝本「My Life in the Purple Kingdom」で書かれた内容に基づいてのインタビュー
ここからは箇条書きで書いておきます。

My Life in the Purple Kingdom

プリンスは何でも得意だった

本の中で一番面白かったのは、プリンスがレッグウォーマーとショートパンツでローラースケートをしていた時の描写です。彼はスケーターだったの?

”彼は何でも得意だった 本当に天才だった。彼は別の世界や宇宙から来たんだ。”と表現。リサが冗談で数学の計算式の事を話すと、プリンスは座って顎をこすりながら正解を答えたそうです。

 

プリンスから背中を蹴られた

共演初期の頃、プリンスが要求する演奏レベルに達してなかった時に背中を蹴られた時はどう思いましたか?

”殴り倒してやろうと思った”が母からの教えを守り我慢し、帰って母に話すと”彼(プリンス)はあなたを壊そうとしてるのよ。明日あなたが誰であるかを彼に教えてやりなさい。"と言われたブラウンマークは、プリンスの考え方や音楽の感じ方を研究しリハーサルに望みました。プリンスも変化に気づいてくれたとの事。

 

レボリューションについて

プリンスのバンド・メンバーでいる事について教えて下さい。

”『ゆかいなブレディー家』(米ホーム・コメディ・ドラマ)のようだった。彼は兄の様な存在だった。兄からボコボコにされたけど〈レボリューション〉 は家族愛そして団結力が強かった。一緒に食事をし、一緒に旅行をし、お互いの家に泊まったよ。”
続けて、”絆が深まれば少々汚い事も許すのが楽になる。彼は愛すべき人だけど100万の個性を持っている。好きな人格を選んで、もし他の人格が出てきたら一歩引くのがいいと思った。彼が暴君なのか、面白いのか、優しいのか...彼の性格を理解したら仕事をするのは楽になった。”

 

ローリング・ストーンズの前座事件について

ブラウンマークが加入した直後ローリング・ストーンズの前座に参加した際、ストーンズ・ファンから物を投げつけられライブを中止しました。プリンスはかなり動揺したけど、そんな彼を見るのは珍しい事でしたか?

”とても珍しい事だった。新人で初めてのギグだった。プリンスはかなり混乱していたよ。ジャック・ダニエルの瓶を避けた時〈これは危険だ〉と感じた。”
”チキンの袋が胸に当たり、グレープフルーツがベースのチューニング・キーに当たって狂ってしまった。10万人近くのファンが牛の様に詰めかけて酷い状況だった。暑い日だったから涼しくする為に消防ホースで水をかけていたよ。本当に狂ってた。”、”銀貨の様なものが当たった事も忘れられない。プリンスは“That’s it!”と言ってステージを降りたんだ。”

 

片手でサンドイッチを作ったりトイレに行ったり...

「1999」のアルバムに取り組んでいた頃、サンドイッチの作ったりトイレの使い方を片手で覚えたと言っていましたが本当ですか?

”本当だよ。プリンスは曲を書き始めグルーヴが出てくると飽きるまで乗っている。それが20分か30分か45分かわからないんだ。”
”彼はマッドサイエンティストのように頭が回転し始め、キーボードに戻ってリサやマットと一緒に別のパートを作っているんだ。その光景を見て「これは1時間のジャムになりそうだ...腹が減った。」って、だから文字通り片手でベースを弾きながらキッチンに行って、サンドイッチを作って、弾いている間に食べていたんだ。本当だよ。そんな僕をプリンスは笑っていたよ。キッチンで飲み物を取り出した事もあるけど決して失敗しなかった!”

 

ブラウンマークに対しての評価

献身的な君を彼は評価した?

”彼はあなたが死ぬほど病気になっても気にしないタイプだよ。彼は自分が病気の時も何事もなかったかのように演奏してた。僕がインフルエンザにかかった時「横になりたい」と言ったけど「何を言ってるんだ?ショーは続けないといけないんだよ、マーク」って言われたよ”

 

ライバル心

プリンスは モーリス・デイにライバル心を持っていたことで有名です。そしてあなたにも同じように激しい関係だったと書いてますね。ある時ファンが「We love you BrownMark!」と書いた横断幕を掲げた時、彼は不満そうにしていたことがあったそうですね。失礼ながら、なぜリード・シンガーがベーシストに危機感を覚えるのでしょうか?

”ただのエゴだよ。「みんな俺に注目している、これは俺のショーだ!ファンが見てるのは俺であってベースじゃない」って、でも同時に彼はバンド・メンバーを愛していた。バトルが好きだった。僕は彼にエネルギーを与えたし、彼はいつも私の動きを見ていた。ビデオの中にでも私が何をしているのか、お互い横目で見ていたよ。”
ショーの前には”「マーク、今夜はお前のケツを叩いてやる!」って言ってきたから「そんな事はさせない。今夜は僕に任せろ」そうやってステージに上がった 。いつも兄弟のような競争だったけど、もちろん彼が勝つだろうね、彼は先輩だしプリンスだからね。でも、アドレナリンが出てきて楽しかったよ。”
”踊ることもできた。踊って演奏できるベーシストはそうそういないよ。マイケル・ジャクソンのスピンもできた。グループの振り付けもした。だからベースのフロントマンのように踊って演奏できたんだ。"

 

Raspberry BeretのMVと脱退の決意

“Raspberry Beret”のビデオは変わっていますね。撮影している時は何を考えていたの?

”奇抜なビデオだったのを覚えているよ。ビートルズか何かになろうとしているのかな?ってどう理解していいか判らなかった。”
”ビデオでは白いマントを着させられたんだ。私は「マント!?シャツでもジャケットいいから何か着させてくれ」って思ったけど彼は僕にマントを被せたんだ。”
"凄くギクシャクした映像だと思った。僕には音楽の方向性が判らなかったし進化しているのが気に入らなかった。僕はファンクから来たんだ。なのに僕たちは突然ビートルズに影響を受けた音楽を演奏していたんだ。”

振り返ってみた時、当時とは違った評価をしていますか?という質問に対し

"バンドとしてやっていた仕事が大好きなんだ。グループとしては最高の作品だったと思う。僕たちはそれぞれ違ったバックグラウンドを持っているからこそ、曲の中に様々なジャンルが挿入され、とてもユニークなサウンドになっている。それとプリンスがホーンを持ち込んで来た事はとても魅力的だった。でも同時に、僕の心の中では「これで終わりだ」と思っていたんだ。僕はもう終わりだと思ったんだ。”

 

映画『パープル・レイン』でセリフをカットされていた

映画『パープル・レイン』であなたは演技指導を何度も受けていましたが、映画から自分のセリフがカットされていることに気がつきましたね。自分のキャラクターのストーリーは覚えていますか?

"あまり覚えていないな。僕のシーンをいくつか撮影したけど、僕がやることになっていたことはあまり覚えていないんだ。僕はただのベーシストでグループとの交流をしていただけで、大きな役割は担ってなかった。でも、そのチョットしたやりとりさえもカットされてしまったのはカットした方がいいことが沢山あったからだろうね。私はバンドの一員だったけど唯一無口だったんだ。今でもみんなは「どうして映画の中で喋らなかったんだ?意図的だったの?」と言われる事があるよ"

 

脱退時の対応

ブラウンマークが脱退する際プリンスは事務的な対応と取られたそうですが、それはビジネス的な事なのかそれとも個人的な事だったと思いますか?

”個人的な事だった。彼は僕が他の事(モータウンへの移籍の事?)をしているのを知っていた。彼の心の奥底では僕が旅立っていく事に備えていたので、僕が輝くような事はさせてくれなかったし、常に影にされていたよ。”
”「君のショーだから"それがやりたい事なら、それが君のビジネスだ」"と言われたけど、当時の僕を見てくれていれば今の10倍は良かったと思うよ。最近のレボリューションのライブはどうか判らないけど僕達は最高だよ”

”僕達のショーでは、フロントロールとセンターステージで大きな役割を果たしてる。観客を盛り上げる、みんなを盛り上げるんだ。何曲かの曲では僕が歌っている。もし彼が僕に僕のままでいさせてくれていたら、レボリューションとは何だったのかを披露できただろう。でも彼はそうしなかった。葬ることを選んだんだ。僕の能力を誰にも見せたくなかったんだ。"

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彼はあなたを文字通りステージの照明を消しピアノの後ろに置かれたと言っていますね。彼の対応は幼稚だったと思いますか?

”個人的には幼稚という言葉は使わないよ。というよりも「僕は彼を輝かせることはできない。」(中略)『Right On! magazine』(ティーン雑誌)でプリンスだけが表紙を飾った時“No, there can only be me. This is my show.” を理解したし尊重した。嫌なら辞めればいいんだよ。だから辞めたんだ"

脱退直前に手渡された小切手

レボリューションを辞める直前、あなたは(アルバムなどの)商品販売の対価として多額の支払いを期待していましが、手渡された小切手はたった1万5千ドルで軽んじられたと感じましたね。裏切られたと思いましたか?

”That was almost the straw that broke the camel’s back.(”沢山の荷物をラクダの背中に積んでいって限界に達した時、あと一本のワラでも載せてしまうと重さでラクダの背骨が折れてしまう。”という慣用句〈最後のワラ1本がラクダの背中を折る〉)という思いでした。その時、僕は終わりを告げられた。辞めようと思ったのはその時です。"

マザラティと”KISS”

Parade』を作り始めた時に、彼は僕が作った(マネージメント)バンド、マザラティのことを知ったんだ。
「Kiss」は僕がプロデュースして共同作曲もしたんだ。彼はその曲を、ギターと彼の声だけの削ぎ落とした形で発表したんだ。
彼はそれ(プリンスのデモ音源)をカセットにして僕に渡し、僕はその曲を今の形にしたんだ。だから、彼がその曲で間違った(クレジットされなかった)ことをした時、僕は終わったと思った。彼とは終わったんだ。

ベース音が抜かれた"When Doves Cry"

"When Doves Cry"にはベースが入っていなかった。僕は "わかった "と思った。「ブラウンマークが俺のバンドにいないなら、ベースは音楽から外す」って雑誌に書いてあった。 彼との日々は終わりだった、もう我慢できなかった。”

 

プリンスとの対立

プリンスと対立したのは2回。一度は小切手を受け取った時に彼は会計士と話すように言った。もう一つはプリンスがあなたの信頼を欺いたと告白(具体的な事象は本に掲載?)した瞬間でしたね。そな時プリンスの表情は?共感を示たのか?それともストイック?

”名声と成功が彼を確実に変えていったのが判ると思います。彼はますます自己中心的になってった。それは自然なことなんだ。有名になればそうなるさ。彼はすべてのことを無視し始め、自分と自分の計画のことばかりになっていった。”

 

バンドを脱退する瞬間とセクシュアリティ

バンドを辞めた時の瞬間はどんな感じだったか覚えていますか?

”彼は床を見下ろしていました。彼は私の方を見ようとしなかった 彼は「どうして辞めたいの?」と”
僕は彼に"おい、お前は約束を守らない。「道徳的な問題もある」”と言い、続けて”ステージに上がって神の事を歌い始めても、次の曲(呼吸)で"Do me baby"とか歌うのはダメだ”と言った。

セクシュアリティな歌詞にも違和感を覚えるようになったんですね。

”僕は成長して学んでいき、性的な描写に貢献したくないと思うようになりました。僕達は女性を搾取していました。僕達がセックスについて歌っているからといって女性を危険にさらしたくなかった。”

”僕はこの目で見てきたんだ。男達が女の子の後ろに寄ってきてコンサート中にセックスするのをね。見ているんだよ。あとでシラフになってから後悔するかもしれないけどね。 ただ、とても下品な環境だった。ほとんどの人はそういう面を見ていない。私はその最前列にいて、すべてを見ていたんだ。”

誇張して言ってるんじゃないよね?本当に観客は性交渉をしていたの?

”毎晩とは言わないけど観客席でセックスしてたよ。何度も見たことがある。その雰囲気に加担したくなかったんだ。プリンスに相談した時の事を覚えてる。(中略)演奏している時、女の子が汗を流してノーシャツで夢中になってた。この行動を促していた事が僕に重くのしかかった。それが脱退したもう一つの理由だ。神聖なものだと思ったからね。”

 

母親の存在

あなたはある時期、セックスやドラッグ、ロックンロールのライフスタイルに陥ったことを認めていましたね。一番影響を受けやすいと感じたのはいつ頃ですか?

"初期の頃だね。2回目のツアーが終わった1999年頃までは、その影響を本当に感じていた。このままでは落ちて別の道に行ってしまうかもしれない。その頃から警戒心が高まり始めた。ドラッグはやっていなかったけど、いつも飲んでいた。いつもパーティーに行っていたので、コントロールできないスパイラルに陥ってた。19歳でこの世界に入ったんだ。派手なスポーツカーに乗って丘の上に自分の家を持ったんだ。まだ人生が何なのかも分からなかった!幸運な事に僕には良いホームベースがあった。古き良き母が僕を引き戻してくれた。彼女は私のヒーローであり支柱だった"

 

プリンスとは脱退後も連絡を取っていた

本の最後に、プリンスとは友達のままで家族のように思っていたと書いてありますね。会っていたのですか?それとも電話で話していただけですか?

”殆ど電話でのやり取りですが、ジャムをするためにミネアポリスまで何度か飛んできてくれたり、プロジェクトに取り組んでいて僕がどうフィットするか見たいと言ってくれたりしていた。彼はいつもやっていることに僕を参加させようとしていました。僕たちは連絡を取り合っていた。彼はいつも僕に電話をかけてきて僕のことを考えてくれていた。その逆もあります。"

それはモータウンに移籍してアーティストやプロデューサーとして活動していた頃からですか?

”その先の事さ。僕は2人の子供を育てたんだ。1992年に音楽業界を辞めたんだ。コンピューター・サイエンスの学位を取得して別の道に進んだんだ。普通になりたかったんだ。普通の人生とは何かを知りたかったんだ。9時~5時の仕事をしていたのから人生が一変したよ。”
”彼は「何をしてるの?」と言ったきたんで「他のことに挑戦している」と話した。音楽の世界ではうまくいかなかったし、本当に嫌になったよ。”

 

ソロとして

「パープル・レイン」の成功、プリンス&ザ・レボリューションのような大きなものに参加した後では、その後のすべてを比較しないのは難しいでしょうね。

”大金を稼いだんだ。プリンス程ではないけどモータウンでは大金を稼いだ。立ち止まって考えるしかなかった 「君は幸せじゃない 何か違うことをすればいい」と...”
”音楽業界からは引退したよ〈普通の人間になりたい〉と言った。他の人と同じように生きたいとね。味わってみてキラキラした華やかさよりもコレがいいと思ったんだ。”

それは素晴らしいことです。でも振り返ってみて、あなたが私たちの文化に貢献したことをしたのは素晴らしいことですね。

”その通り。殿堂入りを願ってるよプリンスだけじゃなく〈プリンス&ザ・レヴォリューション〉として。彼が殿堂入りしたのに僕達が殿堂入りしなかったのは卑怯だよ、フェアじゃない。みんなで頂点に達したんだ僕達全員の力が必要だった。彼は一人では成し遂げられなかった。Eストリート・バンドのように(バンドは2014年に殿堂入り)。ブルース・スプリングスティーン(1999年に殿堂入り)も彼らなしではできなかったんだ。俺たちはひどく見落とされているよ。"

 

プリンスと最後の思い出

最後に彼を生で見た時のことを覚えていますか?

彼が去る約1年前のことだった。ペイズリーパークまで飛んでいった。僕が来た時、彼は駐車場で自転車に乗っていた。僕が車から降りると、彼は愛を込めて僕を見てこう言ったんだ。「Wow, you look good, man. Your aura. You’re glowing.(ワォ、元気そうだね。君のオーラ。君は輝いているよ)」って”
僕は "人生は良いものだった "と言うと彼は「I can tell you’ve got a good spirit. (君は良いスピリットを持っているよ)」"、僕は"人生は良いものだった 前向きに生きてきた "と言うと、彼は 「Man, that’s a good attitude.(良い心構えだ)」と言ってくれた。それが彼との最後の会話で一番印象に残っています。

ニュースを聞いてショックを受けたんでしょうね...

"胸が張り裂けそうだった。傷心し二日連続で泣いたよ。"

世界中がそうだと思います。

"彼があんなに人気があった事は多くの人に衝撃を与えたと思う。人々は彼がマイケル・ジャクソンよりも有名であることに気づかなかった。人々はそれに気づかなかっただけです。僕は気づいていた。彼にはカルト的な支持者がいたけど、それはメインストリーム(主流派)ではない人々でした。彼が演奏しに現れた時には毎回完売していた。僕達は人々の人生のサウンドトラックになったんだ。"

 

The Currentでのインタビュー

この記事に近い内容は昨年The Currentの音楽ライターを務めるアンドレア・スウェンソン(Andrea Swensson)さんのインタビューでも答えています。

https://www.thecurrent.org/feature/2020/09/21/brownmark-interview-andrea-swensson

↓はインタビュー動画

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