マザラティのギタリスト、クレイグ"スクリーマー”パウェル(Craig "Screamer” Powell)がこの世を去ったことをジェリービーン・ジョンソン(Jellybean Johnson)やアンドレ・シモーン(Andre Cymone)、ブラウンマーク(Brownmark)などプリンス・ファミリーがfacebookで追悼文を投稿しています。
クレイグ"スクリーマー”パウェル
クレイグの歴史を紹介しておきます。
1986年にマザラティのメンバーとしてデビュー
クレイグは1983年にミネアポリスのバンド、ザ・スタイル・バンド(The Stylle Band)にギタリストとして在籍、その後ブラウンマーク・プロデュースのマザラティ(Mazarati)に加入。
ペイズリー・パークの第4弾アーティストとしてデビューする彼らを後押しするためプリンスは”KISS”を提供しますがアレンジを気に入り、楽曲をき引き上げる代わりに"100 MPH"を提供しました。
参考Mazarati / マザラティ
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ブラウンマークと同じ頃にペイズリー・パーク・レコードから離れ、1989年にモータウン・レコードから2枚目をリリースしますが上手くいかず解散しました。
解散後の動き
クレイグはメンバーのアーロンとWayo Dayoというユニットに参加するなど音楽活動を継続、2004年と2011年にマザラティを再結成しますがアルバム制作までには至りませんでした。
2014年にはソロ名義で「WAR」をリリース、
2015年に再結成
2014年にブラウンマークやモーリス・ヘイズ達と共に再結成を発表。
アルバムを制作する為にレコーディングも行っていましたが、グループとしてのリリースは叶わず楽曲はヴォーカルのワン・ガン名義のソロ・アルバムに収録されました。
参考2015年にMazarati復活?!
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参考OVER & UNDER the WIRE / OneGunn ('16)
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2021年に膵臓の病気で緊急手術
2021年1月、膵臓の炎症(原文によるとAcute Necrotizing Pancreatitis:急性壊死性膵炎)と診断され緊急手術をおこないました。
NPGのチャンス・ハワードが発起人となり治療費を集めるクラウド・ファンディング・サイトを立ち上げ、プリンス・ファミリーも募金を呼びかけました。
参考Mazaratiのクレイグ”スクリーマー”パウエルに救済の手を
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復帰を願って応援していたのですが願い叶わず...ご冥福をお祈りします。
Craig 'screamer' powell death: How did the guitarist of the band Mazarati die? Cause of death and obituary
medicotopics.com