プリンスがワーナーと契約する直前の1975年〜1978年頃にレコーディングに参加したことでも知られるバンド、94イースト(94 east)のフロントマンであったリン・スターキー・“ペペ”・ウィリー(ペピー・ウィリーとも表記)が6月1日に他界したと報じられました。享年76歳。
ペぺ・ウィリーについて
ぺペ・ウィリーはミネアポリス・サウンドの礎を築いた一人で、プリンスをはじめ地元のアーティストに関与した事でも知られています。彼はプリンスのいとこの元夫にあたります。
音楽に恵まれた環境で育つ
ブルックリンのベッドスタイで育ったペペは、音楽に恵まれた環境で育ちました。
叔父のクラレンス・コリンズは、2009年にロックの殿堂入りを果たしたリトル・アンソニー&ジ・インペリアルズのオリジナル創設メンバーです。また、叔母のマリエルはエタ・ジェイムス&ザ・ピーチズと歌い、別の叔母のドロシーはマイルス・デイヴィスと同じ高校に通っていました。マイルスは、ピアノを弾くペペの祖父ジョージ・コリンズとのジャムセッションのために、ブルックリンにある祖父の家を頻繁に訪れていたほどです。
15歳からキャリアをスタート
15歳でリトル・アンソニー&ジ・インペリアルズの付き人としてキャリアをスタート。
ブルックリン・パラマウント・シアターやブルックリン・フォックス・シアターの舞台裏でスティーヴィー・ワンダーやスモーキー・ロビンソンなど様々なアーティストから多くを学ぶと、テディ・ランダッツォの指導のもと、自身の楽曲の制作とレコーディングを始めました。
1974年に結婚しミネソタへ移住し94イーストのアルバムを制作
1974年にプリンスの従姉妹であるシャンテールと結婚後、ペペはミネソタに移り住みました。そこで自身のデモ制作に取り組みながら、プリンスやアンドレ・シモーネらが結成したグループ「グランド・セントラル」に対し、楽曲構成や音楽ビジネスについて指導。プリンスの才能に驚いたペペは、1975年に自身のグループ「94イースト」のレコーディングにプリンスを起用しました。
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参考94 East / 94 イースト
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またペペはプリンスの他にも、ボビー・Z、ジェシー・ジョンソン、シンシア・ジョンソンなど、ミネアポリスで活躍する多くのアーティストに影響を与えた事でも知られています。
プリンスやモーリス・ディ達も公式アカウントでも追悼
プリンスをはじめ、ミネアポリスのアーティスト訃報に対し哀悼の意を投稿しています。
Rest in power, Pepe Willie. 🤍🕊 pic.twitter.com/WggX8FFV8a
— PRINCE LEGION (@PRNLegion) June 1, 2025
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A great man that helped launch a revolution. Rip Pepe Willie. https://t.co/XRCADI7bh8
— Bobby Z (@BobbyZ1999) June 2, 2025
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REST IN PEACE PEPE WILLIE | Lipstick Alley
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